春号でワイン醸造90年を記念してタケダ創成期をご紹介したところ、思わぬ反響を頂戴しました。
今回は続編をお送りします。 |
武田家四代目・重信が武田食品工場を継いで12年。 欧州系葡萄品種カベルネ・ソービニョン、メルロの栽培に試行錯誤しながら、青果物商も継続していた1974年。
『金星ブドー酒』を製造していた工場が全焼。 工場設備を全て失うと共に、本格派を目指して醸造し瓶内熟成中のワインが灰を被ってしまう。
これがデビュー前の『アストール』だった。 無論、熱を浴びたワインは商品にならない。 それを飲みながら重信が下した決断は「これから家はワイン専業になる。」ことだった。
火災の5ヵ月後、まだ片付けも終わらぬ中、重信は新工場の青写真を残し2ヶ月間渡欧。 醸造機械を買い付け、仏ボルドーの一級シャトーを訪ね土壌を調査して歩く。
帰国後すぐに自社畑の土壌改良に着手。 化学肥料を一切使わない有機的な方法を用い、数年かけ葡萄栽培に適した土に変えた。 甲斐あって欧州品種の葡萄栽培に成功。
東京農業大学在学時に感銘を受けた“シャトー・マルゴー”級のワイン造りを目指し突き進む。
ワイン専業になるにあたり、会社名“武田食品工場”改め、“タケダワイナリー”とする。 『金星ブドー酒』も新たな名前を必要とした。
岸平典子社長いわく「3つの要素から決めたと聞いています。 @金星、A武田の屋号が“ヤマジュウ”で、それをどこかに残したい。→この地で山と言えばB蔵王。
原料の葡萄も蔵王山麓で収穫されたものですしね。」 ちなみに、『蔵王スター』の発売は1977年が最初。 『アストール』は帰国後すぐ1975年に醸造、5年の熟成期間を経て1980年に発表している。
ではここで、タケダのトレード・マークにご注目下さい。 キジを冠した葡萄の房です。 社名変更に伴って生みだされました。 自然環境を守りながら営む自社畑には、沢山の生き物がいます。
植物、虫、鳥、鼠、猫。 キジも出勤するかの如く通ってきます。 「この自然の中にあってこそ、真のローカル・ワイン―土地の味が醸せるのだ。」との決意がデザインされたものです。
1989年、重信の長男・伸一が3年の仏留学から帰国。 この年、伸一がボルドー、ロワールで習得した本場の技術も加わり、日本では魁の瓶内二次発酵の発泡ワイン(いわゆるシャンペン)『キュベ・ヨシコ』を製造(1992年発売)。
翌年には自社トップブランド『シャトー・タケダ』を造る(1993年発売)。 伸一と入れ違いに仏に渡った長女・典子が4年間の留学を終え帰国したのが1994年。
兄のもとでワイン醸造家としてスタートする。 「当時は社長(父)や兄にもダメ出しされることも少なくなかった。 でも、学ぶことが沢山あって必死でした。」(典子談)
1999年、突然の事故で伸一が亡くなる。 深い悲しみの中、葡萄は確実に育ち実をつける。 実れば仕込まなくてはならない。 恐らく典子にとって相当なプレッシャーだったろう。
この十年、葡萄に背中を押されるように、醸造責任者へそして代表取締役へと彼女も成長してきた。 父や兄のワインをより高品質に。 それに無添加ワインなどの新しい試み。
タケダのモットーはずっと「良いワインは、良い葡萄から」。 山形の風土を表現するワインを造りたい。 お客さまの暮らしの中に“当たり前に美味しい”を届けたい。
これからも葡萄と対話をするようにワインを造り続ける。 |
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